「森」は自然に多様な木々が大きく茂る場所(「盛り上がる」が語源)、「林」は人工的・計画的に同じ種類の木が植えられ、手入れされた場所(「生やす」が語源)。
上記はあのGemini君に、「森と林の違い」を問うてみた結果である。単純に、その植物を包含する区域の大小なのかと思っていたが、自然発生的なモノと、人工物ということのようだ。
自宅から5分もかからぬところに、小さいながらも、通称「平野の森」と呼ばれる木深い一帯がある。なるほど、ここは人の手に依らぬ区域なのか。春にはキンラン、ギンランを始め数種の山野草を見ることができる。しかし、その数はめっきり少なくなってきたのだが・・・。
ということは、取って付けたように生えているこのシュンランも、かねてより自生していたものなのであろうか? ちょいとばかり落葉を除けてみたが、まだつぼみらしきものは見当たらない。落葉樹の落ち葉の褥(しとね)に身を委ね、ひたすら眠るという行為を貪っているばかりであった。
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| 📸2026年1月15日 この森でマンリョウの実が見ていたモノは? ( 画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
📸2026年1月15日 この森がこの苗を育んでくれるのだろうか? (画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰) |
コウヤボウキ(高野箒)--その名が示すように、この小低木は高野山所縁の名である。より直截的に言うなら、弘法大師の教えが反映しているという説が有力のようだ。
高野山では「禁植有利竹木(きんしょくゆうりちくぼく)」という教えがあるという。すなわち、「樹や竹など“利益(商売)につながる植物”を山内に植えることを禁じる」というもので、身近に竹類を入手することができなかった。そこで、このコウヤボウキの枝を束ねて箒の代用にしたのだという。お大師さんも、ある意味、罪な教えを残したものである(個人的な感想だけどね)。
この他に、この森で人の目を引くものと言ったらマンリョウの実くらいのものか。まだ、苗と言ってもいいほどにチビなんだけど、この森はこの子らをしっかりと育んでくれるのだろうか?

